ダブラブ

PEOPLEText: Aya Muto

ハリウッドの外れのアパートの二階ですごいことが起こっている。静かなれど確信犯的ムーブメント。ダブラブチームは明確な目標を見据え、インターネットラジオの有るべく姿を身をもって体現すべく、根気よく時代に挑戦し続けている。フロスティことマーク・マクニール(以下フロスティ)は、創設者の一人にして、この実験室の主催であり、また総務でもあり、そして宣伝部長でもある。もちろんダブラブに携わる全員の例に漏れることなく、彼は何よりも音楽をこよなく愛するDJであることも忘れてはならない。

ダブラブの発足は1999年。ちょうどアメリカ経済のテック・バブルが崩壊する直前だ。大学時代にカレッジラジオ局の運営経験があったフロスティ。今は無きKSCR局での彼の週3時間のスロットが、当時のロスでの唯一のエレクトロ番組だったという。『KCRW(サンタモニカ・カレッジの主催する公共ラジオ局)がかろうじて夜中過ぎにながしてたりしたけど、おそらくドラムンベースを波に乗っけたのはロスでは俺たちが初めてなんじゃないかな』と自負する彼は、仲間達と在学中の4年間でエレクトロアワーを週36時間にまで増やしていった。もともと周波レベルが弱く、ダウンタウン界隈でしか聞けなかったKSCR局は、ついに規制にあって閉鎖を迎えてしまう。そこでフロスティらは地域的制限を全く厭わないウェブ上に居場所を探し始める。インターネットを通せば一気に世界中にオーディエンスが広がるわけだ。フランスやアイスランド、そして東京でもリアルタイムで聴くことができるのだ。

『最初は右も左もわからない状態で、とりあえず本や既存のサイトを片っ端から勉強してたね』というフロスティに未来のビジネスパートナー、ジョン・バックがアプローチ。『ジョンはインターネット・ラジオ局をやるための資本とビジネスサイドの準備を整えつつ、実際の運営を任せられるブレーンを探してたんだ。僕は僕で自分のやろうとしてること、それから人脈には確信があったので、二人で色々話し合いを重ねていくうちに、一緒にやろうということになったんだ。』

現在ではフロスティとジョンの他に、東海岸のメイン州から呼び寄せられた技術班のジェームス、そして発足当初から目に優しいビジュアルデザインを担当しているロブという4人が主軸となってダブラブを走らせている。一時はかなりの額のスポンサーがつく直前まで行ったりしたらしいが、慎重に将来の可能性を吟味しているうちに、気付けば今日までインディペンデントの姿勢を保っている。

『ここまでの道のりはけして楽じゃなかった。スポンサーをつけて一時的に羽振りの良かった(そして既にもう無き)サイトの中には放送中に名指しで、ダブラブはすぐに消えるなどと、攻撃的な発言があったりしたけど、そう言ったところに限ってもう跡形もない。別にそういう声を見返す目的で今までやってきたわけじゃないけど、実績でものを言ったのは果たしてどっちだか明白だよね。理解しあって一緒に育っていけるスポンサーは道中ずっと探しているけど、即金に飛びつくことは絶対にしない。それには自分たちの目指すところがあまりにも重要。節約して少しづつサイトの発展を図れば、きっと景気もついてくる。』

ダブラブのページに去年訪れたことのある方ならお気づきだろうが、実は少々のファンクション後退が昨年末に遂行された。まずは、一日16時間、一週間で100時間以上のライブウェブカム(ストリーミングビデオ映像)の中止。そのかわりに月二回更新される録音済みDJセットのローテーションが組まれる(たとえば同じ時間帯にしか聞けない人のために、セットを流す時間帯を毎日少しづつずらしてバリエーションを提供)。これで一つ一つのセットが締まったという。『毎日のスロットをローテーションでこなすより、一月ないし二月に一度、DJに来てもらってレコーディングする方が、やる側も断然張り切って一つ一つのレコードを大切にかける。その後のつなぎもゆっくり構成する時間もあるしね。』

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